静かに横たわっていた。
そっと近づい顔を見ると
とてもきれいな顔をしていた。
病院にいたときは、吸入器を付けていて
呼吸も辛そうで苦しそうな顔をしていた。
でも、横たわっている顔は
僕が覚えているいつものおばあちゃんの顔だった。
お線香を上げてもどことなく
別の目線でその瞬間を捉えていて
妙に冷静だった。
きっと着いた時に、父、母がいつもの
顔で迎えてくれたことも大きかったのだと思う。
線香を上げてしばらくおばあちゃんの
前で座っていると、亡くなった時の話を父がしてくれた。
そこで初めて涙が流れた。
でも、取り乱してとか、感極まってとかではなく
その死を受け入れたことによって自然と流れた
涙、そんな感じだった。
父は結局、おじいちゃん、おばあちゃんと
彼にとって両親の死に目に会えた。
いつも距離のある遠いところにいたにも関わらず。
幸運だったのかな。
僕は親の死に目に会いたくない
と彼女に話した。
それを目の当たりにすることが辛いから。
でも彼女は会いたいと言った。
ありがとうとか感謝の気持ち
そういうコトバを伝えたいし
最後のコトバを聞きたいから。
わたしの死に目でも会いたくない?
って聞かれてうんって答えた。
でも何故だか、傍にいたいって思っている
自分がいた。
死に目に会うって僕が考えているものより
もっと純粋なものなのかもしれない。
おばあちゃんの通夜、お葬式をする場所は
すごく新しくて、遺族の用の部屋があって
ベッドが4つ、お風呂、洗面台、台所、リビング
テレビ、冷蔵庫もあってちょっとしたホテルだった。
この死とはほど遠い環境のせいかもしれないけど
むやみに気分が落込むことはなかった。
お通夜の後に料理やお酒を飲んでいたけど
お酒の飲めない僕は、ずっとおばあちゃんの
傍で横になっていた。
次の日、父におばあちゃんの傍にずっといてくれて
ありがとうってお礼を言われた。
親族のお酒の相手をしてて、おばあちゃんが一人に
なっていることを忘れてたんだって。
それを笑顔で言われて何だか泣けてきた。
一番心配していた、結婚をしていない叔母さんは
気丈に振舞っていた。
でも明らかに強がっていたし、気を紛らわそうと
していることは分かるから痛々しかった。
お葬式で棺におばあちゃんの愛用していたものや
思い出の品を入れて、閉じるとき、顔が見れる最後の
別れのとき、叔母さんが初めて感情的になった。
今思い出して見て、僕が知る中では、
その時が唯一のときだった気がする。
骨を拾うときは、なんだろ。そこからおばあちゃんを
想像できないからかな。
儀式的だったように思う。
思っていた以上に僕は冷静だったと思う。
距離が離れていて、年に1,2回くらいしか
会えていないからなのかな。
冷たい人間のようにも思えた・・・。
死って不思議なものだと感じた。
お葬式でおばあちゃんの写真を集めた
映像が流された。
結婚式に流す二人の馴れ初め映像と
似ていて式の持つ意味は同じなのかもと思えた。
その映像を見ながら、周りも涙を流していた。
ところが数分後映像が途切れた。
そして再開したと思ったら、最初から流れた。
そこで空気が変わった。
それまで悲しい気持ちで見ていた映像を
落ち着いて、懐かしく見ることができた。
それは周りも同じだったようで、
あれはどこへ行った時の写真だとか
周囲の人たちが話しながら見ていた。
葬儀屋の方達は映像が止まったことを
誤っていたが、故人がもっとよく見て
欲しいってことだったんでしょうかねって
話をするのを聞いて、最初から仕組まれた
ことだったのかもって思ってしまった。
そうだとしたら、葬儀屋もなかなかやる。
92歳だったと話すと大往生だったね
と言う人もいる。
慰めだとはわかっていても
その言い方は好きになれない。
確かにおばあちゃんは入院中
苦しくて、息を止めて欲しいって言っていた。
けどって思う。
何歳まで生きたからとか、突然でなかったからとか
そんなことはあんまり関係ない。
もちろんそれらに比べると死を受け入れる
用意ができたってことは救いなのだとは思う。
それは遺族が思うことであって、
周りが言うことではないのでは?
優しさだってことも分かっている。
なんか違和感を感じる。
ただそれだけ。
今は、毎日想うだけ。
そっと想う。
苦しさから解放されて
穏やかにいてくれること。
そして、家族を見守っていてって
生きている側の希望を勝手に
押しつける。
おばあちゃん、お願いね。
おじいちゃんによろしく。
またね。
そっと近づい顔を見ると
とてもきれいな顔をしていた。
病院にいたときは、吸入器を付けていて
呼吸も辛そうで苦しそうな顔をしていた。
でも、横たわっている顔は
僕が覚えているいつものおばあちゃんの顔だった。
お線香を上げてもどことなく
別の目線でその瞬間を捉えていて
妙に冷静だった。
きっと着いた時に、父、母がいつもの
顔で迎えてくれたことも大きかったのだと思う。
線香を上げてしばらくおばあちゃんの
前で座っていると、亡くなった時の話を父がしてくれた。
そこで初めて涙が流れた。
でも、取り乱してとか、感極まってとかではなく
その死を受け入れたことによって自然と流れた
涙、そんな感じだった。
父は結局、おじいちゃん、おばあちゃんと
彼にとって両親の死に目に会えた。
いつも距離のある遠いところにいたにも関わらず。
幸運だったのかな。
僕は親の死に目に会いたくない
と彼女に話した。
それを目の当たりにすることが辛いから。
でも彼女は会いたいと言った。
ありがとうとか感謝の気持ち
そういうコトバを伝えたいし
最後のコトバを聞きたいから。
わたしの死に目でも会いたくない?
って聞かれてうんって答えた。
でも何故だか、傍にいたいって思っている
自分がいた。
死に目に会うって僕が考えているものより
もっと純粋なものなのかもしれない。
おばあちゃんの通夜、お葬式をする場所は
すごく新しくて、遺族の用の部屋があって
ベッドが4つ、お風呂、洗面台、台所、リビング
テレビ、冷蔵庫もあってちょっとしたホテルだった。
この死とはほど遠い環境のせいかもしれないけど
むやみに気分が落込むことはなかった。
お通夜の後に料理やお酒を飲んでいたけど
お酒の飲めない僕は、ずっとおばあちゃんの
傍で横になっていた。
次の日、父におばあちゃんの傍にずっといてくれて
ありがとうってお礼を言われた。
親族のお酒の相手をしてて、おばあちゃんが一人に
なっていることを忘れてたんだって。
それを笑顔で言われて何だか泣けてきた。
一番心配していた、結婚をしていない叔母さんは
気丈に振舞っていた。
でも明らかに強がっていたし、気を紛らわそうと
していることは分かるから痛々しかった。
お葬式で棺におばあちゃんの愛用していたものや
思い出の品を入れて、閉じるとき、顔が見れる最後の
別れのとき、叔母さんが初めて感情的になった。
今思い出して見て、僕が知る中では、
その時が唯一のときだった気がする。
骨を拾うときは、なんだろ。そこからおばあちゃんを
想像できないからかな。
儀式的だったように思う。
思っていた以上に僕は冷静だったと思う。
距離が離れていて、年に1,2回くらいしか
会えていないからなのかな。
冷たい人間のようにも思えた・・・。
死って不思議なものだと感じた。
お葬式でおばあちゃんの写真を集めた
映像が流された。
結婚式に流す二人の馴れ初め映像と
似ていて式の持つ意味は同じなのかもと思えた。
その映像を見ながら、周りも涙を流していた。
ところが数分後映像が途切れた。
そして再開したと思ったら、最初から流れた。
そこで空気が変わった。
それまで悲しい気持ちで見ていた映像を
落ち着いて、懐かしく見ることができた。
それは周りも同じだったようで、
あれはどこへ行った時の写真だとか
周囲の人たちが話しながら見ていた。
葬儀屋の方達は映像が止まったことを
誤っていたが、故人がもっとよく見て
欲しいってことだったんでしょうかねって
話をするのを聞いて、最初から仕組まれた
ことだったのかもって思ってしまった。
そうだとしたら、葬儀屋もなかなかやる。
92歳だったと話すと大往生だったね
と言う人もいる。
慰めだとはわかっていても
その言い方は好きになれない。
確かにおばあちゃんは入院中
苦しくて、息を止めて欲しいって言っていた。
けどって思う。
何歳まで生きたからとか、突然でなかったからとか
そんなことはあんまり関係ない。
もちろんそれらに比べると死を受け入れる
用意ができたってことは救いなのだとは思う。
それは遺族が思うことであって、
周りが言うことではないのでは?
優しさだってことも分かっている。
なんか違和感を感じる。
ただそれだけ。
今は、毎日想うだけ。
そっと想う。
苦しさから解放されて
穏やかにいてくれること。
そして、家族を見守っていてって
生きている側の希望を勝手に
押しつける。
おばあちゃん、お願いね。
おじいちゃんによろしく。
またね。
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