英語ができない利点
2005年11月9日 通勤バスや電車に乗っていて、気づいたことがある。周りの人の会話が理解できるのだ。当たり前って言えばそうなんだけど、海外にいる時はほとんど理解できなかった。つまりどんな人ごみの中にいても、それらはよく言えばメロディー、悪く言えば雑音だったりする。けれどけして騒音ではなかった。しかも頭に響かずそれは音でしかなかった。
ところが、日本では理解できるから、周りのくだらない噂話や悪口、愚痴や自慢話、そんな音が言葉として頭に響く。まさに騒音・・・。すごく居心地が悪くなって疲れる。英語が理解できると同じことを海外でも感じるんだろうか?
当然英語が理解できることにより、いろんな国の人と分かり合えるって利点は重々承知してます。でも理解できない言葉を話している人が周りにたくさんいると、とても不思議な所に来た錯覚を起こすのです。同じ人間なんだけど、スターウォーズのR2-D2のような人達がたくさんいるような。中には彼らの言葉を理解できるC-3POがいたりと。そんな不思議な世界へ来たかのように、妙にわくわくしてしまうのです。
英語を話せないなりに、楽しんでたなって思います。きっとよく分からない文章なんだろうな・・・。f(^^;
ところが、日本では理解できるから、周りのくだらない噂話や悪口、愚痴や自慢話、そんな音が言葉として頭に響く。まさに騒音・・・。すごく居心地が悪くなって疲れる。英語が理解できると同じことを海外でも感じるんだろうか?
当然英語が理解できることにより、いろんな国の人と分かり合えるって利点は重々承知してます。でも理解できない言葉を話している人が周りにたくさんいると、とても不思議な所に来た錯覚を起こすのです。同じ人間なんだけど、スターウォーズのR2-D2のような人達がたくさんいるような。中には彼らの言葉を理解できるC-3POがいたりと。そんな不思議な世界へ来たかのように、妙にわくわくしてしまうのです。
英語を話せないなりに、楽しんでたなって思います。きっとよく分からない文章なんだろうな・・・。f(^^;
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