ボヤージュ
2004年9月14日 最近読書にはまっている。入院中にもはまっていたから特別なことではないのだが、働き出してからはほとんど読んでいなかった。ちょっと前は「経済について」とか、ちょっぴり小難しいものを読んでたりするけど、最近はもっぱら小説。
読書はいい!!!感動的なドラマもいいけど、読書は一味違う。テレビドラマは、流れてくる映像をそのまま受け入れ、そのまま感情移入する。小説は、読みながら自分の中で映像を創りそして感情移入する。頭の中で映像を創る。これが、「読書は右脳を鍛えるのに適している理由」だと聞いたことがある。
小説は、自分の人生を客観的に見ることができるのかもしれない。描かれている主人公と自分を、ある時は投影したり、ある時は比較したりと。例えば、推理小説をひとつ取ってみても、誰かの人生が描かれている。もちろん作者によって創り出された物であるのは事実なのだが。それでもそれを取り巻く人間関係が見え隠れしたりする。誰かの人生を覗いたようなそんな錯覚さえ起こす時がある。
創られたものに踊らされていると言われるかもしれない。けれど、壁にぶつかった時、落ち込んでいる時、そんな中にも答えを見つけることができるような気がする。結局、悩みとかは自分の価値観だけで解決できないもだからなのかもしれない。新しい風を入れるのに、小説は大きく役立つのではないかと思う。
野沢尚著「反乱のボヤージュ」を読んだ。久しぶりに素直な小説を読んだ気がする。ドロドロ系が多いこのご時世に、読み終えた後にすっきりするものがあったのだ。人間愛のような、心が温まるストーリーだった。
読書はいい!!!感動的なドラマもいいけど、読書は一味違う。テレビドラマは、流れてくる映像をそのまま受け入れ、そのまま感情移入する。小説は、読みながら自分の中で映像を創りそして感情移入する。頭の中で映像を創る。これが、「読書は右脳を鍛えるのに適している理由」だと聞いたことがある。
小説は、自分の人生を客観的に見ることができるのかもしれない。描かれている主人公と自分を、ある時は投影したり、ある時は比較したりと。例えば、推理小説をひとつ取ってみても、誰かの人生が描かれている。もちろん作者によって創り出された物であるのは事実なのだが。それでもそれを取り巻く人間関係が見え隠れしたりする。誰かの人生を覗いたようなそんな錯覚さえ起こす時がある。
創られたものに踊らされていると言われるかもしれない。けれど、壁にぶつかった時、落ち込んでいる時、そんな中にも答えを見つけることができるような気がする。結局、悩みとかは自分の価値観だけで解決できないもだからなのかもしれない。新しい風を入れるのに、小説は大きく役立つのではないかと思う。
野沢尚著「反乱のボヤージュ」を読んだ。久しぶりに素直な小説を読んだ気がする。ドロドロ系が多いこのご時世に、読み終えた後にすっきりするものがあったのだ。人間愛のような、心が温まるストーリーだった。
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