「生」を感じる瞬間
2003年11月22日他の患者さんの誰かが亡くなった。消灯時間になっても食堂に見舞い客が6人くらいいたので不思議には思っていたけど、誰かが危篤なのかなくらいにしか感じなかった。なぜなら誰も泣いていないから、しかも泣いていただろうとも思えなかったからだ。会話の中で「穏やかな顔で眠ってる。葬儀屋に連絡した」などから亡くなったことが推測された。
それにしてもそんなにあっさりしたものだろうか?人の死というのは。淡々と流れ作業のような話をしている家族を見て唖然とした。
亡くなった人が長寿をまっとうしたからだろうか?いい人生を歩んできたからだろうか?
そうであって欲しいと思う。
仲のいい看護師さんとメールをした。「亡くなる人を看取る時が一番つらいけど看護してて一番良かったと思えるときでもある」っという僕らでは答えられない回答がきた。誰かの「生」に協力できたというやりがいみたいなのだろうか。
昔、祖父が亡くなった時悲しい出来事ではあるのだが、なぜが妙に自分の「生」を感じて活力(?ちょっと違うけど)が出ている自分がいたように思う。
戦争など身近になく「生」を感じることが難しい世の中で、女性は子供生む時にそれを強く感じるんだろう。男はどうだろう。
病気をすると感じられるのは間違いないんだけど…。体験談からいうと。
それにしてもそんなにあっさりしたものだろうか?人の死というのは。淡々と流れ作業のような話をしている家族を見て唖然とした。
亡くなった人が長寿をまっとうしたからだろうか?いい人生を歩んできたからだろうか?
そうであって欲しいと思う。
仲のいい看護師さんとメールをした。「亡くなる人を看取る時が一番つらいけど看護してて一番良かったと思えるときでもある」っという僕らでは答えられない回答がきた。誰かの「生」に協力できたというやりがいみたいなのだろうか。
昔、祖父が亡くなった時悲しい出来事ではあるのだが、なぜが妙に自分の「生」を感じて活力(?ちょっと違うけど)が出ている自分がいたように思う。
戦争など身近になく「生」を感じることが難しい世の中で、女性は子供生む時にそれを強く感じるんだろう。男はどうだろう。
病気をすると感じられるのは間違いないんだけど…。体験談からいうと。
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